通過(ひとつ歳をとる)

 また更新を止めてしまっていた。

 埋草エントリばかりになるが仕方がない。

 

 この秋でまたひとつ歳をとった。

 誕生日に何をしたかといえば、5回目のコロナワクチンの接種。接種場所は歩いて3分ほどの老人ホーム内の診療所。「中抜け」が可能な在宅勤務日に合わせて予約、接種した。(ちゃんと30分ほどの中抜け時間は勤怠管理システムで登録した。)

誰とも会わず酒も呑まず、ほんとうに地味な一日であった。

 きちんとした人生設計があろうがなかろうが、死なない限り毎年歳を重ねる。自分の年齢ぐらいになると、何事もなく歳をとることに何かしらの努力が必要ということを感じる。と、いう心境になったのは部門のメンバー(ひとつかふたつ年上)が昨年秋以降病に侵され入退院を繰り返していることが大きい。彼は特段不摂生な生活を送っていたわけではないが極端な医者嫌いということがあって、病のごく初期の手当が遅れた可能性があるからだ。もう若いころとは違うのだ。身体にまとわりつく違和感は何かの前ぶれなのだと自分にいいきかせる。

 ワクチン接種後、上腕が痛むこともあってややくたびれた気分が続いていたときに、ローリングストーンズの新作を耳にする。最初は失礼なことだがメンバーの年齢を考えると新録ではなく未発表音源のリリースかと思ったのだがばりばりの新作。しかもどこか若々しくしなやか、常人では到底もちこたえられないような生き方をしていたはずだが、今もただの通過点だといわんばかりの勢いである。彼らのような人生を送ることはできないが、ひとつ年齢を重ねたぐらいでしんみりしている場合ではないと思うのであった。

 予告しないとエントリを書かなくなってしまうので、次回は久々に『ビジネス法務』の拾い読みを書くことにする。

 

 

 

1991年 Robbie Robertson

(再び埋草エントリ)

 自分の年齢を考えれば、10代、20代の頃に聴いていたミュージシャンが年老い、そして亡くなっていくのは当然のことと頭ではわかっていても、訃報が入ればなんともいえない寂しさを味わう。

 8月に入り、Robbie Robertson の訃報。さすがにTHE BANDをリアルで体験していないし、ロックを聴き始めた10代の頃はブリティッシュ系中心だったので、少し遅れて聴いたほうである。 だからここで彼のキャリアや音楽性を云々することは避ける。

 愛聴盤はソロ2ndアルバム『Storyville』(1991年)。

 当時は、バブルが弾ける直前。入社数年経過し少し経験を重ねたもののまだまだ建築現場を駆けずり回っている営業担当者であった。残業も休日出勤も当然、酒を飲んでいるか、好きな音楽を聴いているぐらいしか楽しみのない日々だった。上手いかどうかといえばそうではないが、味わいのあるしわがれ声とニューオーリンズをモチーフにした音楽が当時の自分の精神状態にマッチしたのかもしれない。収録曲の「Day of Reckoning (Burnin‘ for You)」の切ない声とギターの音色に(あまり他からきいたことがないが)本当にしびれたのである。  

 あれから30年以上の時間が経過していたことに茫然としている。

 合掌。

 

 

15年前の答え合わせ 『ストーリーで理解する カーブアウトM&Aの法務』

 珍しく同一月内2回目の更新。

 今回は書評、というよりは読書感想文。

 『ストーリーで理解する カーブアウトM&Aの法務』(中央経済社:柴田堅太郎編著 中田裕人著)。

 自分の企業法務担当者のスタート地点のひとつは「勤務先の株式譲渡による売却対応なのだが、それももう15年前の事件。当時のドタバタぶりは前々、前blogのエントリに残している。そのエントリが縁となり、今はない月刊法律誌に「M&Aの対象会社」側の立場で寄稿させていただいたのも10年前の出来事である。大変な時間だったはずなのだが、今やひと昔、ふた昔の記憶となり、そして薄れつつある。そこで本書である。

 読後の感想をまずひと言でいえば「すべてが合点がいった」である。「株式譲渡による売却」時点から遡って所属事業部門の「会社分割による子会社」から「株式譲渡」まで実に用意周到に計画だったのだと本書を読んで改めて理解した。

 本書はストーリーと解説が交互に組み合わさった構成で章が進む。ストーリーは自分にとってどこか既視感をおぼえるものであり、苦笑いせざるを得ない。

 M&Aの対象会社/部門に在籍する人間にとって、セルサイドの経過など知る由もない。自分たちがどうなるかを知るのは、セルサイド(親会社/自社)のプレスリリースであり、突き付けられる「スタンドアローンイシュー解消プロジェクト」のサマリーである。対象会社/部門が「いくらごねても時すでに遅し」と言葉をなくすレベルまで持っていくのが、セラードDDの肝だろう。この点、本書では特に製造業で課題になる「知的財産権」や「工場の不動産」に言及しており至れり尽くせりの内容である。セルサイドに立つことになった企業法務担当者は必読と思うし、むしろ経営企画部門の人間が読んでもよいと思う。そして、もしかしたら対象会社/部門になるかもしれない側の人間が「逆引き」的に読むこともすすめる。(そうは思いたくないかもしれないが、あるのだ)

ところで。

コーポレートガバナンスコードの観点からのカーブアウトM&Aがある一方で、親会社を含むグループ一体運営を強化していくケースが多いかもしれない。しかし、今はグループ内に留めるとした事業や子会社等であっても未来永劫グループ内に留まるかは誰も保証できない。結束と統制を強めれば、「カーブアウト」に再び労力をかけることになる。したがって本書は改訂を重ねつつロングセラーになる書籍になるかもしれない。

 最後に「ストーリー」部分にふれておく。書籍タイトルに「法務」とつくものの、企業法務担当者が登場し活躍する場面はない。主人公はセル/バイサイドの法律アドバイザー(要するに法律事務所の弁護士)である。企業法務担当者の出番があるかと思う人にとっては肩透かしかもしれない。しかし、これが「リアル」である。M&Aの主体は経営企画部門であり、法務部門のみならず財務経理部門はM&Aの場でも「バックオフィス」ということが多いと思う。自身の経験でいっても二度目の売却の際の買主は事業会社だったが、DDでも会社側の法務や経理担当者が出張ってきたことはない。皮肉なことだが、M&Aという舞台では役名もセリフ一つも与えられない、対象会社の法務や経理担当者のほうが関わるかもしれない。(もう関わりたくはないが)

 セルサイドDDの方法としての「IPO準備」についても触れようと思ったが、今回はここまでとする。

 

 

いつかは自動運転?

今回は埋草エントリー。

 春先にクルマを買い替えた。8年ぶりである。これまで乗っていたクルマに不満があるわけではないが、年数、走行距離の点からリスクが高くなる領域にはいってきたからである。(8年で?と思う人がいるかもしれないが、ラテン車なので察してほしい)

今回は次の事情から新車購入の選択肢はなかった。

  • 昨今の事情から国産/輸入車を問わず新車の納入期間がまったく読めない
  • そもそも乗ってみたいと思っていたクルマがカタログ落ち

と、いうことで某中古車サイトを利用したところ、販売店保有の試乗/広報車、1年落ち走行距離7000㎞弱という個体に巡り合い、購入に至った。これまで乗っていたクルマに思った以上の買取値がついた。おそらく上記の理由と希少車ということが査定上プラスになっているのだろう。

 今回のクルマのブランドはアメリカ、中身はラテン、という自動車メーカーの経営統合の賜物のような存在である。結局ラテン車の沼から抜け出せていない。

 自分にとってのトピックスは25年ぶりのオートマチックトランスミッションAT車)の運転である。走行中左腕と左脚が暇である。AT車の事故理由に多くあがる「ブレーキとアクセルの踏み間違い」だが、今の自分の感覚では「間違えようがないだろう」というのが率直な感想。やたらと安全配慮の電子デバイスが多い、というのも驚きだ。前車の装備でも十分と思っていたのだが、認識遅れだったのだ。ただバッテリーの負荷は高いだろうなと思う。

 さてエコだ、自動運転だという時代、ハイブリッドで自動運転という車種も登場しているにもかかわらず、趣味性の高いクルマに乗っているのはどうかと思う向きもあるかもしれない。

 ジュリストの2022年8月号「新技術と法の未来」が自動運転をめぐる対談記事だったので改めて読んでみる。当然クルマがどうこうという内容ではなく、新しいカタチのクルマを公道を走らせるための法整備についての話。バラ色の話には(記事は昨年時点だが)なっていない。そしてまだ「自動運転」に関してはこういう段階だという話がクルマの所有者や使用者にきちんと伝わっているのかと疑問に思う。自分がはなから選択肢にいれていないので、自動車ディーラーや損害保険会社から話をきく機会がないだけなのかもしれない。

 すべては運転している者の責任、とステアリングを握るほうが仮に事故に巻き込まれたとしても、ドライバーにとってはまだ過失なり責任を受け入れることができるかもしれないと思う。

 とにかく25年ぶりのAT車運転だけで「おお、やはり便利だ」と思う程度の自分には自動運転の世界の想像がつかない。数年後、自分の運転感覚/体力が衰える頃に、技術も法整備も万全となっていることを願うだけだ。

 

 

 

 

読むべきは 問われるべきは 「Q&A 若手弁護士からの相談199問 特別編」

 開店休業なのかただの休業なのか、かなり間の空いた更新となってしまった。この間、新型コロナに感染し熱が下がったあともモヤモヤとした体調が続いていたのだが、言い訳にもならない。

 今回は春先に自分の周囲で話題になっていた書籍「Q&A若手弁護士からの相談199問 特別編」の読後感。

 弁護士でもなく、若手でもない(匿名をいいことに自称するのももはや無理)ので、「若手弁護士からの相談」シリーズを手に取ることはなかったが、本書は旧知のdtkさん(@dtk1970)が執筆陣に加わり「企業法務/キャリアデザイン」が章立てに追加されたというので読んでみた。本書の各問答に対する細かな感想は既に経文偉武さんが書かれているし、聴取できなかったが#萌渋スペースでも取り上げられていたので今更感満タンなのだが第2編の感想を中心に書き留めておく。企業内の「法務部門ではない」人間が、本書を通じて企業法務部門とその若手をどう見たのかと受け流していただければと思う。

 企業勤務の「若手」法務パーソンのアプローチブック、組織で「生きるヒント」としては十分の内容、というのが第一の感想。同時に本書とはまったく毛色が異なるし執筆陣が気を悪くするかもしれないが「希望の法務」の読後感に似た感覚を抱いた。

 初めて企業法務に勤める弁護士、ロー卒(つまり年齢は新卒より上だが、会社員経験がない人)、そして企業勤めは初めてではないが「法律を徹底的に学んできた」という略歴からいきなり法務部門の「中間管理職手前」あたりのポジションにつけられた30代(自分からみれば眩いくらいの若手)にとっても、企業組織というのは摩訶不思議な世界だと思う。リーガルの「リ」の字すら気にかけない営業部門の猛者、稟議と決裁のエンドレスループトップダウンならまだしも横槍、突き上げなど事務規程に定めのない意思決定など。そんな組織のなかでどのように立ち回り、自らまたは自部門の存在価値を高めていくかがQ&Aのかたちで展開されている。ときに執筆陣の強い思いが透けてみえる記述もあるのだが、それはそれでよいと思う。回答にしっくりこないというのであれば読者自ら考え実践すればよいし、そもそも本書の読者層はそれだけのスキルをもっているし、そういう方は本書は「生きるヒント」として使えばよいと思う。

 もうひとうの感想。

 気になったのは「現場で相談しづらい問題」「対人関係」の問題という本書の帯の文言である。たしかに第2編の各問答はよく練られた内容と思う一方で、それらがみな「現場で相談しづらい」問題なのかと思う。もし、第2章2-1~3の各設問が職場でほんとうに「相談しづらい」状況にあるなら、(現在の自分の職務なら)部門運営に懸念がある職場とフラグを立てる。独立した法務部門なら部門長、そうでなければ管轄する上位上長が新人やキャリアの「受け入れ態勢」を整えていない可能性があるからだ。

また、2-5~6については「法務部門」に限らない「普遍的な」問題といえる。法務部門を設立したり拡大していくなかで、「専門職」「個人営業的」だった法務部門が、事業や販売部門など他の部門と同様の課題を抱えつつあることの現れとみたのがどうなのだろう。

 企業法務部門の上位管理職は企業内でどのようなマネジメント教育を受けてきたのだろうか。もしかしたら法曹資格保有、ロー卒という点が重視されて管理職になった人がいるかもしれない。そのなかには部門運営や人材育成が本当は苦手という人がいるかもしれない。本書はそのような人にとって「逆引き」ヒント集として読まれてもよいと思うし、もし自分の部下/メンバーが本書を読んでいることを知ったなら、自分のマネジメントに何か不足があるかも?と気づいたほうがよい。読むべきは?問われるべきは?本当は誰なのか、ということである。

 最後に今は「若手」の法務パーソンもいつかは部門を預かる(現在勤務中の企業とは限らないが)法曹資格のある人は独立して事務所を構えるという未来があるだろう。そのときに悩み迷って本書を手に取った若手だった自分のことを忘れないでいただきたいと思う。

 

読んでみた RULE DESIGN -組織と人の行動を科学する 

 監査部門に移り、読む書籍のジャンルを拡げることになったのだが、読むこむ力が及ばないことを今更ながら痛感している。

 気を取り直す。

 20年ほど前に不定期に社内研修講師を務めたことがあるのだが、そのカリキュラムは管理職/管理職候補者対象に、「組織目標達成のために、メンバーのモチベーションを上げるには」がテーマで交流分析と行動心理学のエッセンスを取り入れたものだった。今回取り上げる「数理モデル思考で紐解くRULE DESIGN」(江崎貴裕著 ソシム㈱刊)を読みながら、当時のカリキュラムの一部とほぼ同じ内容の記述があり、当時のカリキュラムを思い出した次第である。

 社内規則や業務マニュアルの制定改廃に携わる企業の管理部門の方は多いと思う。規則関係の業務にかかる労力は意外とかかるものだが、その一方で「知られない」「読まれない」「使われない」「守られない」など、労力が報われないどころか、より労力がかかる事態が発生することすらある。そしてより多くの規制を設ける羽目になる。

 社内規則や業務マニュアルを作成する管理部門所属の人間はおおむね真面目で努力家で善人で、おそらく「規則やマニュアル」は「守るべき」「守られるべき」という信条でいると思う。企業勤めの人間といえど皆がそういう信条でいるとは限らないのが残念な実態である。

 一方で真面目で努力家が考えた規則やマニュアルに何も問題がないかといえば、そういうものでもない。監査業務で引っかかる規則マニュアル違反のなかには、違反当事者は当然として、規則マニュアル側にも「不備」があることが多い。この「不備」は規則類の字面だけでなく、業務システムや管理部門によるモニタリングの仕組みに生じていることがある。その根っこに前述の規則マニュアル制定側の「べき」論が横たわっていることを感じるのである。

 規則やマニュアルは制定すれば終わりではなく、知られ、読まれ、守られ、利用されてはじめてその価値が生まれるのである。そのために何を考え、どうしたらよいのかということについて、「失敗学」「ルールデザインの手法」「メカニズム」などの考察が本書で述べられている。大雑把にくくれば「守られない」規則マニュアルの制定側に対する「啓発」である。(冒頭に触れた過去の研修カリキュラムと重なる部分は「第2章 個人とルール 人間は粒子ではない」にある)こういう視点をもってはいかがか、ということで興味があったら一読することをすすめる。

 規則マニュアル制定側も監査する自分にとっては、ヒントに富んだ書籍であった。

 

ご挨拶

この度、こちらにブログを構えることにした。よろしくお願いいたします。

 都合2か所、更新頻度はともかく10年ちょっとblogを続けてきたのだが、自身の職種が変わりblogタイトルとエントリ内容をあわせるのが難しくなってきたのがその理由。

 匿名blogなのだからどうにでもなるとしばらくは思っていたのだが、職種を離れているのに「企業法務マン」という架空のキャラクターで文章を書き続けるほどの能力はないし、そもそもそんな必要もない。考えたまま、思ったまま、感じたままを書くにはやはり「場」を変えることにした。

 改めて簡単自己な紹介をすると

  • 1980年代後半に企業勤めを開始
  • 以来2006年までに営業、事業企画、販促企画などを経験
  • 2006年に企業法務、広報業務
  • 2019年以降は内部監査業務

といった職歴を歩んでいる。

途中転職はしていないが、法務に異動した途端に勤務先の組織再編が繰り返されたのでそれなりの目には遭っている。

10年ちょっとの間、企業法務ネタを中心に文章を書き散らかしていたが、この場ではもう少し幅をもたせて文章を書きたいと思う。といって、誰かの役に立つような文章になるかはわからない。

 「かどや」とは学生の頃、アルバイトをしていた個人経営の立ち食いソバ屋の屋号である。都内の巨大ターミナル駅の駅前でありながら場末感を漂わせる路地の角にあった。一杯のそばを啜る間ではあるが、毎晩いろいろな人(場所柄本当に様々な人であった)を話をきいた。単なる愚痴、世迷い言が多かったと思う。そのときはいい大人が、と思うこともあったが今ならわかる。街の場末にでも憂さを捨てていくことで、身も心も軽くしたかったのだ。

 労多くして報いの少ない企業の管理部門、その憂さの捨て処と思ってしばらくの間お付き合いいただければと幸いです。