いつかは自動運転?

今回は埋草エントリー。

 春先にクルマを買い替えた。8年ぶりである。これまで乗っていたクルマに不満があるわけではないが、年数、走行距離の点からリスクが高くなる領域にはいってきたからである。(8年で?と思う人がいるかもしれないが、ラテン車なので察してほしい)

今回は次の事情から新車購入の選択肢はなかった。

  • 昨今の事情から国産/輸入車を問わず新車の納入期間がまったく読めない
  • そもそも乗ってみたいと思っていたクルマがカタログ落ち

と、いうことで某中古車サイトを利用したところ、販売店保有の試乗/広報車、1年落ち走行距離7000㎞弱という個体に巡り合い、購入に至った。これまで乗っていたクルマに思った以上の買取値がついた。おそらく上記の理由と希少車ということが査定上プラスになっているのだろう。

 今回のクルマのブランドはアメリカ、中身はラテン、という自動車メーカーの経営統合の賜物のような存在である。結局ラテン車の沼から抜け出せていない。

 自分にとってのトピックスは25年ぶりのオートマチックトランスミッションAT車)の運転である。走行中左腕と左脚が暇である。AT車の事故理由に多くあがる「ブレーキとアクセルの踏み間違い」だが、今の自分の感覚では「間違えようがないだろう」というのが率直な感想。やたらと安全配慮の電子デバイスが多い、というのも驚きだ。前車の装備でも十分と思っていたのだが、認識遅れだったのだ。ただバッテリーの負荷は高いだろうなと思う。

 さてエコだ、自動運転だという時代、ハイブリッドで自動運転という車種も登場しているにもかかわらず、趣味性の高いクルマに乗っているのはどうかと思う向きもあるかもしれない。

 ジュリストの2022年8月号「新技術と法の未来」が自動運転をめぐる対談記事だったので改めて読んでみる。当然クルマがどうこうという内容ではなく、新しいカタチのクルマを公道を走らせるための法整備についての話。バラ色の話には(記事は昨年時点だが)なっていない。そしてまだ「自動運転」に関してはこういう段階だという話がクルマの所有者や使用者にきちんと伝わっているのかと疑問に思う。自分がはなから選択肢にいれていないので、自動車ディーラーや損害保険会社から話をきく機会がないだけなのかもしれない。

 すべては運転している者の責任、とステアリングを握るほうが仮に事故に巻き込まれたとしても、ドライバーにとってはまだ過失なり責任を受け入れることができるかもしれないと思う。

 とにかく25年ぶりのAT車運転だけで「おお、やはり便利だ」と思う程度の自分には自動運転の世界の想像がつかない。数年後、自分の運転感覚/体力が衰える頃に、技術も法整備も万全となっていることを願うだけだ。