読んでみた RULE DESIGN -組織と人の行動を科学する 

 監査部門に移り、読む書籍のジャンルを拡げることになったのだが、読むこむ力が及ばないことを今更ながら痛感している。

 気を取り直す。

 20年ほど前に不定期に社内研修講師を務めたことがあるのだが、そのカリキュラムは管理職/管理職候補者対象に、「組織目標達成のために、メンバーのモチベーションを上げるには」がテーマで交流分析と行動心理学のエッセンスを取り入れたものだった。今回取り上げる「数理モデル思考で紐解くRULE DESIGN」(江崎貴裕著 ソシム㈱刊)を読みながら、当時のカリキュラムの一部とほぼ同じ内容の記述があり、当時のカリキュラムを思い出した次第である。

 社内規則や業務マニュアルの制定改廃に携わる企業の管理部門の方は多いと思う。規則関係の業務にかかる労力は意外とかかるものだが、その一方で「知られない」「読まれない」「使われない」「守られない」など、労力が報われないどころか、より労力がかかる事態が発生することすらある。そしてより多くの規制を設ける羽目になる。

 社内規則や業務マニュアルを作成する管理部門所属の人間はおおむね真面目で努力家で善人で、おそらく「規則やマニュアル」は「守るべき」「守られるべき」という信条でいると思う。企業勤めの人間といえど皆がそういう信条でいるとは限らないのが残念な実態である。

 一方で真面目で努力家が考えた規則やマニュアルに何も問題がないかといえば、そういうものでもない。監査業務で引っかかる規則マニュアル違反のなかには、違反当事者は当然として、規則マニュアル側にも「不備」があることが多い。この「不備」は規則類の字面だけでなく、業務システムや管理部門によるモニタリングの仕組みに生じていることがある。その根っこに前述の規則マニュアル制定側の「べき」論が横たわっていることを感じるのである。

 規則やマニュアルは制定すれば終わりではなく、知られ、読まれ、守られ、利用されてはじめてその価値が生まれるのである。そのために何を考え、どうしたらよいのかということについて、「失敗学」「ルールデザインの手法」「メカニズム」などの考察が本書で述べられている。大雑把にくくれば「守られない」規則マニュアルの制定側に対する「啓発」である。(冒頭に触れた過去の研修カリキュラムと重なる部分は「第2章 個人とルール 人間は粒子ではない」にある)こういう視点をもってはいかがか、ということで興味があったら一読することをすすめる。

 規則マニュアル制定側も監査する自分にとっては、ヒントに富んだ書籍であった。